5月 21, 2010 - Posted by xiaoling- 10 Comments
I went to 2010 Shanghai EXPO this week. too large, too many visitors, too many wonderful view points. You can see everyone trudged all day on Expo Site. So I strongly recommend you make a plan before you enter it. Here are some points. 1. make clear what you want to attain from EXPO. I [...]
5月 13, 2010 - Posted by xiaoling- 2 Comments
道教、道教と日本について、いくつか憶測を記しておく。 1、道教は、民間信仰を批判し、諸民衆宗教(よく初期道教と言われる)の経典を厳選し、仏教の教団組織を習って、道教たる経典と組織制度を整理し、体系化し、精神と肉体と共に不老不死を目標とする宗教である。民間信仰を道教と等同視してしまうと、5世紀ごろ、民間信仰を厳選し、仏教と対抗できるような「道教」を作り上げ、一種の革命を起こそうとしていた「道教」の先駆者は仙界にいても、とても辛いであろう。 2、民間信仰の知識は、一般の中国人、中国の知識人、また仏教僧も持っている。彼らは、朝鮮半島に行き、またそれらを吸収した百済人なども、日本列島に入っていた。仮にのちの道教に吸収された民間信仰であっても、大陸的なものか、仏教的のものと思われ、いずれも道教という整った宗教の形が入ったのではなかった。神仙思想も老荘思想もイコール道教ではない。しかし、道教に吸収された要素は今の日本でもたくさん形跡が見出される。 3、壬申の乱が経て、日本列島を統一しようとする天武天皇は、どれほど整った道教を知っているであろう。とにかく、国を統一し、治めるには、体系化された明確的な仏教のほうが都合のいいイデオロギーだった。中央集権を支えるために、儒教的な律令制度を取り入れた。日本固有の「神道」も民間信仰のように、固く存在しているので、神仏習合の問題だけで結構手を焼くほどなので、整った道教を知っていても、仏教に入れたりして、分解させるであろう。というか、中国では、老子が釈迦様の派遣した菩薩である(日本に確実に伝来し読まれた『清浄法行経』)のような説があって、それはまた神仏習合、本地垂迹の発想の参考になったし、仏教は最初から道教や老子の教説を網羅していると考えられていたかもしれない。 4、唐代には、唐の君主が老子と同じ李という苗字を持ち、道教を国教のように崇めた。日本は、唐に対して、表面的に、それを尊重し、勉強する姿勢を示したが、日本内部では、他国の祖先崇拝のものを取り入れるものか!と判断し、道士法を拒否した。 5、道教の組織制度により、経典を容易に伝授しないし、合格的な道士になるのが相当難しい。最初から広く伝播する性質を持っていない宗教といえるであろう。
5月 11, 2010 - Posted by xiaoling- 1 Comment
说起如何写好学术论文,似乎课堂上没这样的专门授课。 以前问师兄师姐,就是叫我模仿导师的论文,模仿高质量论文就好。 问起什么可称之为好论文,就是说要有问题意识,要有创新,有足够论据,能自圆其说。 而似乎没有更多地去细究钻研,如为什么说这样的论文就高质量,好在哪里,该如何去训练和提高等等。 都这把年纪了,写作方法完全可以自学,责任在自己。 自愧的是为什么现在才发觉要来好好钻研如何写好一篇合格的学术论文。 看了些经验和建议,略记如下,警惕自己,实践过程中还会有所补充。 以宗教哲学类的论文为模型来说。 Ref.:http://www.jimpryor.net/teaching/guidelines/writing.html 需具备的基本能力: 对于以文献为主的研究来说,对文献的解读和运用能力(质和量都很重要),对前人研究的理解能力,以及纵横古今的广阔思维和视野是最基本的吧。 注意点: 1、站在读者的立场上写文章。 2、注意区分事实、他人的意见和自己的意见。 3、一篇哲学论文是由为一些观点的合理辩护所构成,需要谦逊地提出一个小(范围的)观点或判断,但是要使观点清晰、直白,并且提出富有逻辑地理由、论证来支撑。 4、反复推敲,几易其稿。
5月 10, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
也许不是纯母语的缘故,在日本要讲普通话对于我来说也有个开关切换模式。 特别是要和darling练习,不能误导他,还得有意识发好zhichishi,in和ing的音。 经常说darling的中文很可爱,他说我讲日语也可爱。 哦,原来那种微妙的距离感会让你把语言演绎得更可爱。 所以决定偶尔记下点滴,让回忆更甜蜜。 妈妈上回寄来些点心,其中有桂花满口香。 说实话,太甜的点心,我不爱吃。而且还是粉状类的。 于是便连哄带骗地让darling尝尝。 他吃了一口,一字一顿地,“怎么那么粉”。 再来一口,“好粉啊”。 第三口,“粉粉的”。 这娃爱吃甜的,粉也继续吃,“超粉”。 “粉死了”、“粉得要命”。。。 我说嫌太粉就别吃了。 他说很浪费,便用开水冲泡。 结果粉粉没有完全融化,留下一层粉粉的沉淀。 我说,做菜时撒去菜里吧,说不定菜更香。 他说,怪怪的,我还是就这么粉粉地吃吧。
5月 10, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
もう少し教育の話をしたい。 たまにdarlingと塾の話をする。 日本人は大抵、小中学生の時、塾に通っていたって。 みんな、学校の科目をもう一回塾で講義を受けるって。 塾の先生は、学校の先生より教えるのがうまいと。 なんか本末転倒で、学校の教育効果をもう少しアップできれば、 自然にゆとり教育になるんじゃないのかな。 中国にも塾や家庭教師がある。 私には、塾は補強的なイメージしかない。 中国で、通う学生は、二種類いる。 1、何か特技を習いたい人。書道、絵画、楽器など。 2、学校での落ちこぼれ組。 成績がいい学生は、わざわざ塾に行って、同じく教科書の内容や入試対策などの講義を受けない。頭がいい人なら、学校ですぐ消化できないことは、独学でも補える。 日本みたいに、塾に通わされていないし、落ちこぼれでもないから、通う必要もなくてよかったけど。小中学校は、教科書勉強漬けと寝る以外に、もっと特技勉強や、いろんな本、いろんな体験をしたかったなと少し残念な気持ち。 5月2日、南京で開かれた国際学長フォーラムで、中国に世界レベルの一流大学が誕生するのは「早くても20年後」だとする見方が示された。アメリカの一流大学基準で判断されているけど、一流と言えるレベルまでまだまだ時間がかかるな。教授一人二人の考え方や教え方で学校の体制を変えられる話ではないし。 米イェール大学のリチャード・レビン学長は「中国の大学生は常に受け身で考える力が足りない」、英オックスフォード大学のアンドリュー・D・ハミルトン学長も「中国には権威に果敢に立ち向かう学生が不足している」と話した。 どちらかというと、現在は、そう指摘された大学生のほうが多いね。 受身がだめ、自分で考えたいと悟ったのも相当遅かった。 20年間のものの判断基準が揺らいだのが大きなきっかけだったかも。 まあ、スタート時点が遅かったけど、柔軟な頭と広い視野があれば、自主的な考える力、失敗を恐れない挑戦力が付くのは難しくないと思う。
5月 5, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
「師」とは、何か。 高1の教科書には、唐代の散文家、韓愈の「師説」という「教師」とは何かを追求した文章がある。 師とは、「伝道」・「受業」・「解惑」なりという。 It takes a teacher to transmit wisdom, impart knowledge and resolve doubts。 「道」への解釈は人によってまちまちだと思うが、個人的には、人間のあり方、生き方を伝えられたらと思っている。 「受業」(「受」、「授」と通じる。日本語の授業の原形か)は、知識や技そのものを教えるより、いかに知識や技を得て、吸収する方法を伝授すると思う。 「解惑」とは、文字通り、人の戸惑い、疑問、悩みを解くこと。 皆は、学校の「師」、人生の「師」、身近にいる両親という「師」を含めて、多くの「師」と触れ合った、触れ合っているでしょう。 とても尊敬し、今でも忘れられなく、自分の人生を導いてくれた「師」は何人ぐらいいるでしょう。 私は、「師」本人のあり方、生き方、知識への理解し方、疑問の解き方が一番生徒、受け手に響くと思う。 自分のあり方、生き方、考え方の魅力を磨いて、周りに示せば、十分に教育の効果があると考えている。 人に、何か教えることはとても難しいことだ。 特に大人に。 教え方、言い方一つで、 「自分の価値観を押し付けるな」 「何その上目線、えらそうに」 「それぐらい、知っているよ」 教え方の工夫改善は、「師」として永遠に追求するテーマだが、 そういう言われると、その人に二度と教えない可能性が高い。 研究でも、議論でも、上から見ないと、そのものの全体像も本質も掴みにくいことも確かだ。 議論しないと、真実や最もいいやり方が見えてこないかもしれない。 しかし、「謙虚な心」を持つことは、成長していきたい人はもちろん、「師」になろうとする人にとっても大切なことだ。 「謙虚な心」とは、心を虚しくする、空にすることだ。 心がいっぱいになると、何も入れられなくて、人の話を反発したり、排除したりしてしまう。 人、人の話のいい所を注目して、吸収するこそ、自分の成長につながる。 人の問題ばかりを批判するのが、伝われば人のためになるが、伝わらなければ単なる自己満足だ。 完璧な人間がいないが、だれでも「師」になりうる。 良き師になろう。