「師」とは
「師」とは、何か。
高1の教科書には、唐代の散文家、韓愈の「師説」という「教師」とは何かを追求した文章がある。
師とは、「伝道」・「受業」・「解惑」なりという。
It takes a teacher to transmit wisdom, impart knowledge and resolve doubts。
「道」への解釈は人によってまちまちだと思うが、個人的には、人間のあり方、生き方を伝えられたらと思っている。
「受業」(「受」、「授」と通じる。日本語の授業の原形か)は、知識や技そのものを教えるより、いかに知識や技を得て、吸収する方法を伝授すると思う。
「解惑」とは、文字通り、人の戸惑い、疑問、悩みを解くこと。
皆は、学校の「師」、人生の「師」、身近にいる両親という「師」を含めて、多くの「師」と触れ合った、触れ合っているでしょう。
とても尊敬し、今でも忘れられなく、自分の人生を導いてくれた「師」は何人ぐらいいるでしょう。
私は、「師」本人のあり方、生き方、知識への理解し方、疑問の解き方が一番生徒、受け手に響くと思う。
自分のあり方、生き方、考え方の魅力を磨いて、周りに示せば、十分に教育の効果があると考えている。
人に、何か教えることはとても難しいことだ。
特に大人に。
教え方、言い方一つで、
「自分の価値観を押し付けるな」
「何その上目線、えらそうに」
「それぐらい、知っているよ」
教え方の工夫改善は、「師」として永遠に追求するテーマだが、
そういう言われると、その人に二度と教えない可能性が高い。
研究でも、議論でも、上から見ないと、そのものの全体像も本質も掴みにくいことも確かだ。
議論しないと、真実や最もいいやり方が見えてこないかもしれない。
しかし、「謙虚な心」を持つことは、成長していきたい人はもちろん、「師」になろうとする人にとっても大切なことだ。
「謙虚な心」とは、心を虚しくする、空にすることだ。
心がいっぱいになると、何も入れられなくて、人の話を反発したり、排除したりしてしまう。
人、人の話のいい所を注目して、吸収するこそ、自分の成長につながる。
人の問題ばかりを批判するのが、伝われば人のためになるが、伝わらなければ単なる自己満足だ。
完璧な人間がいないが、だれでも「師」になりうる。
良き師になろう。
