教育とは

もう少し教育の話をしたい。

たまにdarlingと塾の話をする。
日本人は大抵、小中学生の時、塾に通っていたって。
みんな、学校の科目をもう一回塾で講義を受けるって。
塾の先生は、学校の先生より教えるのがうまいと。
なんか本末転倒で、学校の教育効果をもう少しアップできれば、
自然にゆとり教育になるんじゃないのかな。

中国にも塾や家庭教師がある。
私には、塾は補強的なイメージしかない。
中国で、通う学生は、二種類いる。
1、何か特技を習いたい人。書道、絵画、楽器など。
2、学校での落ちこぼれ組。
成績がいい学生は、わざわざ塾に行って、同じく教科書の内容や入試対策などの講義を受けない。頭がいい人なら、学校ですぐ消化できないことは、独学でも補える。

日本みたいに、塾に通わされていないし、落ちこぼれでもないから、通う必要もなくてよかったけど。小中学校は、教科書勉強漬けと寝る以外に、もっと特技勉強や、いろんな本、いろんな体験をしたかったなと少し残念な気持ち。

5月2日、南京で開かれた国際学長フォーラムで、中国に世界レベルの一流大学が誕生するのは「早くても20年後」だとする見方が示された。アメリカの一流大学基準で判断されているけど、一流と言えるレベルまでまだまだ時間がかかるな。教授一人二人の考え方や教え方で学校の体制を変えられる話ではないし。

米イェール大学のリチャード・レビン学長は「中国の大学生は常に受け身で考える力が足りない」、英オックスフォード大学のアンドリュー・D・ハミルトン学長も「中国には権威に果敢に立ち向かう学生が不足している」と話した。

どちらかというと、現在は、そう指摘された大学生のほうが多いね。
受身がだめ、自分で考えたいと悟ったのも相当遅かった。
20年間のものの判断基準が揺らいだのが大きなきっかけだったかも。
まあ、スタート時点が遅かったけど、柔軟な頭と広い視野があれば、自主的な考える力、失敗を恐れない挑戦力が付くのは難しくないと思う。

日本の話に戻ると、「常に受け身で考える力が足りない」、「権威に果敢に立ち向かう学生が不足している」というコメントは、日本の学生の現状にも言えるのではないかと思う。
留学していた早稲田大学は、権威を批判するとか、積極性とか、社会実践など、日本の大学の中のトップクラスで、そこでたくさん刺激を受けたけど、議論する意欲と能力は、むしろ中国の学生のほうが上かもしれない。日本の学生は、社会人になったら、出た杭が打たれるとか、異議を言う人が仲間はずれされることで、もっとおとなしくなる人が多い。

東アジアの社会風潮はそれなりの特徴があって、教育にも影響していると思う。
そもそも、教育は、家族、学校、社会が一緒にすること。

まあ、教育にも国境なし。まず下記のことに、両親、先生、社会全体で意識して、教えていけば、人の育ちは変っていくかなと思う。

人間はとても発達している脳があるから、何でも自分で考えてみよう。
人間たる価値は、考えられることにありと言えるかも。
これは、大学からではなくて、生まれたときか、1歳からでも早くない。
「自分だったらどう思う」「あなただったらどう思う」「またどうして」をたくさん聞こう。
世の中には、人の数だけ考え方がある。
人がいずれに死ぬことのほか、絶対正しいことはない。

考えてから、命がなくならない限り、何でも実行してみよう。
肌で感じたこと、実際に行動したことこそ、自分の血肉になり、精神の糧になる。
なるべく多くの人と出会って、会話して、多くのところに行ってみよう。

This entry was posted on 月曜日, 5月 10th, 2010 at 5:37 AM and is filed under Way to Enlightenment. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.

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