道教の本当の姿
道教、道教と日本について、いくつか憶測を記しておく。
1、道教は、民間信仰を批判し、諸民衆宗教(よく初期道教と言われる)の経典を厳選し、仏教の教団組織を習って、道教たる経典と組織制度を整理し、体系化し、精神と肉体と共に不老不死を目標とする宗教である。民間信仰を道教と等同視してしまうと、5世紀ごろ、民間信仰を厳選し、仏教と対抗できるような「道教」を作り上げ、一種の革命を起こそうとしていた「道教」の先駆者は仙界にいても、とても辛いであろう。
2、民間信仰の知識は、一般の中国人、中国の知識人、また仏教僧も持っている。彼らは、朝鮮半島に行き、またそれらを吸収した百済人なども、日本列島に入っていた。仮にのちの道教に吸収された民間信仰であっても、大陸的なものか、仏教的のものと思われ、いずれも道教という整った宗教の形が入ったのではなかった。神仙思想も老荘思想もイコール道教ではない。しかし、道教に吸収された要素は今の日本でもたくさん形跡が見出される。
3、壬申の乱が経て、日本列島を統一しようとする天武天皇は、どれほど整った道教を知っているであろう。とにかく、国を統一し、治めるには、体系化された明確的な仏教のほうが都合のいいイデオロギーだった。中央集権を支えるために、儒教的な律令制度を取り入れた。日本固有の「神道」も民間信仰のように、固く存在しているので、神仏習合の問題だけで結構手を焼くほどなので、整った道教を知っていても、仏教に入れたりして、分解させるであろう。というか、中国では、老子が釈迦様の派遣した菩薩である(日本に確実に伝来し読まれた『清浄法行経』)のような説があって、それはまた神仏習合、本地垂迹の発想の参考になったし、仏教は最初から道教や老子の教説を網羅していると考えられていたかもしれない。
4、唐代には、唐の君主が老子と同じ李という苗字を持ち、道教を国教のように崇めた。日本は、唐に対して、表面的に、それを尊重し、勉強する姿勢を示したが、日本内部では、他国の祖先崇拝のものを取り入れるものか!と判断し、道士法を拒否した。
5、道教の組織制度により、経典を容易に伝授しないし、合格的な道士になるのが相当難しい。最初から広く伝播する性質を持っていない宗教といえるであろう。

長笛 says:
こんばんは。カニチィの笛子です。
私自身は何の知識もなく、ただ興味深く思い、時々拝読しています。
北京駐在3年めの知人がいます。
余暇に中国内のあちこちを観光し、道教についての感想を寄せてきましたので、全文を紹介させてください。宗教学は素人です。西洋史には詳しい人。
「道教のことはよく分かりませんが、ふたつ思い出しました。1.聖徳太子の子供の山背大兄皇子は道教も信奉してたような記憶があります。2.中国で道教の廟へ幾つか行きましたが、厳かな所と、世俗的な所とふた通りあります。後者は人形などを使ってこういう悪いことをするとこうなるみたいなのが、沢山展示されてますが、日本人の感覚ではおどろおどろし過ぎている感じがします。こういうのは日本では、道教というより、世俗信仰の形で残っているのでは?」
上記「1.」は実際そのように伝えられており、葬儀は道教風に行われたと。
ただ、聖徳太子の直系は、太子亡き後、山背大兄皇子の時に滅ぼされました。
私自身が知っている(?)事は全て、学校の授業や歴史書からではなく、小説から得たものです。マユツバものです。
素人の感想とマユツバコメント、ごめんなさい〜。
以上、思い出した事を書きました。
おやすみなさい。
xiaoling says:
長笛さん、こんなつまらない内容を読んでくださってありがとうございます。具体的な感想もありがとうございます。
聖徳太子と道教の研究は、最近、道教界だけでなく、仏教の研究者も参加していて、見直されているようです。結論はまだ検証中で、はっきりいえませんが。
道教は、厳かな所と、世俗的な所二通りあるというのは、確かにだと思います。日本には、教団組織が伝わっていませんが、道教の内容は、日本の民俗信仰などに少なからず吸収されて、日本化されているかと考えています。
またコメントを寄せてくださいね。^^