「多民族化社会・日本」&「多民族国家・中国」

「多民族化社会・日本」

新着図書渡戸一郎・井沢泰樹編著の『多民族化社会・日本』を読んだ。やはり感想を書きたい。

異質な存在を固く排除し、大多数への同化を強く求めるのが日本文化の一大特徴と見られる。これは、ポジティブな面でいうと、日本という国、日本の組織を管理する立場の人にとって、まとめやすいから、とても都合のいい文化だと思う。個人にとっても、特に自分が考えなくても、大多数についていけば、はずれることはなく、安心に暮らせる環境だ。しかし、マイナスな面も無視できない。日本人同士ではいじめ問題がよく起こり、互いに拘束しあい、生き苦しくなっている。日本人が最初外国に行ったら、なかなか異文化に適応できなくて、ストレスがたまるのは多い。また、日本人が日本にいる外国人に対して、日本社会への一方的な適応を求めがちなことになる。

この文化の源はどこにあるのか、かねてから考えている。農耕社会の村落共同体生活に由来しているとよく言われるが、農耕社会って日本独自のことではないし、どうも納得できない。『多民族化社会・日本』の第2章では、井沢泰樹氏は、単一民族観という植民地主義に起因していると述べている。的を射ているのではないかと読んだ瞬間、そう思った。井沢泰樹氏は、沖縄、アイヌ、朝鮮、台湾への植民地化経験を例にして「日本人化」、「日本語化」の抑圧運動を説明した。これはまた、もっと前の日本という国が形成された時期にできた天皇制の日本を中心に朝鮮諸国を藩国にする小中華意識と無関係ではないかと思う。海に囲まれているか、殆ど外敵から上陸されず、多くの移民と生活せずに歩んできた近代までの日本は、例えば、唐に対しては定期的に朝貢し、臣下として振舞いつつ、国内に対しては、唐と平等な国と唱え、小中華意識を維持しながら、王朝交替、易姓革命を可能にする一切の説を封印し、単一民族的な優越性を培ってきたであろう。

現実に戻り、日本社会はいかに異文化と共生するかの課題に直面している。ここで、『多民族化社会・日本』は「多文化共生」を問い直し、政府レベルの「上から」外国人・移民を一方的に受け入れ社会に適応・同化・統合しようとするのではなく、対等な関係作りを土台とし、外国人・移民が受け入れ社会と相互的に包摂型の社会を「下から」創造していくという概念を提供してくれた。そのために、「個」と「個」の新たな出会いと共同性を再構築し、異なる主体が意見交換を行う「開かれた場」、「ルーズなコミュニティの形成」が重要だという。新たな展開を期待しておく。


「多民族国家・中国」

ついこのごろ、あるイベントで、中国内モンゴルの人たちと出会ったが、彼らは一貫して内モンゴル人と自称し、日本人も彼らの国籍を内モンゴルと記録し、数えるときも一つの国として数える。国内では、内モンゴルの友達と結構仲良かったし、内モンゴルはチベットやウィグルみたいに騒いでいなさそうだし、正直、ちょっとびっくりした。チベットやウイグルは表に出ているからわかりやすいけど、国内で静か内モンゴルにとって、「中国」ってそんなにいやがられているのか。歴史を見ると、賢明な政府のもとで、社会が安定するとき、異なる民族でも仲良く交流する。少数民族がひどい目に遭ったときは、大体社会全体が不安定し、漢民族でも苦しんでいるのが多いのではないか。よく例に挙げられる文化大革命はまさにそういった狂った時期であった。

中国では古代から、異民族が戦ったり、互いに尊重しあったり、一緒に生活したりした波乱万丈の歴史を歩んできた。漢民族といっても、実はそんなにピュアではないと思う。歴代の中原王朝は、周辺の他民族といかに付き合うかを結構悩んできた。互いに独立し尊重しようといったら、平和な情勢が保てる甘いことではない。中原王朝はちょっと衰えたら、周りの民族はすぐ攻めてくる。万里の長城はまさにそういった防衛のために作られたのである。

今の中国では、いくつかの少数民族自治区を設置し、少数民族による自治という行政制度を作った。結果から見ると、詳細を把握していないが、最初の旨がきちんと実践されなかったか、異民族の間の関係はまだよろしくない。国政権の安定を脅かす存在を警戒するのは、程度の差があるが、どの国でもあるのではないか。しかし、普通の漢民族の一員からすると、他民族の文化や言語を完全に潰そうとする理由は今一見つからない。中国の言語の現状からわかるように、標準語があっても、標準語と異なるたくさんの方言が生きている。「中国文化」と一括りできないぐらい、各エリアの独自な歴史や文化が維持されている。一番大きくいうと、北と南出身の中国人は、違う民族みたいに、顔立ち、体格、言語や性格には異なる点が多い。また、大体今多くの中国人にとって、国内旅行といえば、チベットや新疆など、自分の文化と違えば違うほどのエリアに行きたがっている。チベットや新疆などの少数民族集中居住地以外に、漢民族と同じエリアに住んでいる少数民族も多い。ただし、少数民族は大抵経済的に遅れているから、代々漢民族の文化や習慣を学ぶことによって、自分の文化や伝統が失っていく恐れが見られる。しかし、個人にとっては、同一民族、同一文化ほどせまくて、つまらないことはないから、異民族・異文化への興味はいつでも抱いているし、みんなでそれぞれの文化を守っていけたらとつくづく思う。

This entry was posted on 火曜日, 10月 12th, 2010 at 5:06 AM and is filed under Cross Culture. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.

Post a Comment