1月 12, 2012 - Posted by xiaoling- 0 Comments
I traveled to Italy, Switzerland and France this past Thanksgiving holiday. It was my first time to see and experience Europe. I was especially fascinated by the historic Rome, romantic Venice, breathtaking Matterhorn mountain and Lake Léman, and the beautiful Eiffel tower. The history and art reminds you of the origin of Western culture and [...]
10月 12, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
「多民族化社会・日本」 新着図書渡戸一郎・井沢泰樹編著の『多民族化社会・日本』を読んだ。やはり感想を書きたい。 異質な存在を固く排除し、大多数への同化を強く求めるのが日本文化の一大特徴と見られる。これは、ポジティブな面でいうと、日本という国、日本の組織を管理する立場の人にとって、まとめやすいから、とても都合のいい文化だと思う。個人にとっても、特に自分が考えなくても、大多数についていけば、はずれることはなく、安心に暮らせる環境だ。しかし、マイナスな面も無視できない。日本人同士ではいじめ問題がよく起こり、互いに拘束しあい、生き苦しくなっている。日本人が最初外国に行ったら、なかなか異文化に適応できなくて、ストレスがたまるのは多い。また、日本人が日本にいる外国人に対して、日本社会への一方的な適応を求めがちなことになる。 この文化の源はどこにあるのか、かねてから考えている。農耕社会の村落共同体生活に由来しているとよく言われるが、農耕社会って日本独自のことではないし、どうも納得できない。『多民族化社会・日本』の第2章では、井沢泰樹氏は、単一民族観という植民地主義に起因していると述べている。的を射ているのではないかと読んだ瞬間、そう思った。井沢泰樹氏は、沖縄、アイヌ、朝鮮、台湾への植民地化経験を例にして「日本人化」、「日本語化」の抑圧運動を説明した。これはまた、もっと前の日本という国が形成された時期にできた天皇制の日本を中心に朝鮮諸国を藩国にする小中華意識と無関係ではないかと思う。海に囲まれているか、殆ど外敵から上陸されず、多くの移民と生活せずに歩んできた近代までの日本は、例えば、唐に対しては定期的に朝貢し、臣下として振舞いつつ、国内に対しては、唐と平等な国と唱え、小中華意識を維持しながら、王朝交替、易姓革命を可能にする一切の説を封印し、単一民族的な優越性を培ってきたであろう。 現実に戻り、日本社会はいかに異文化と共生するかの課題に直面している。ここで、『多民族化社会・日本』は「多文化共生」を問い直し、政府レベルの「上から」外国人・移民を一方的に受け入れ社会に適応・同化・統合しようとするのではなく、対等な関係作りを土台とし、外国人・移民が受け入れ社会と相互的に包摂型の社会を「下から」創造していくという概念を提供してくれた。そのために、「個」と「個」の新たな出会いと共同性を再構築し、異なる主体が意見交換を行う「開かれた場」、「ルーズなコミュニティの形成」が重要だという。新たな展開を期待しておく。 「多民族国家・中国」 ついこのごろ、あるイベントで、中国内モンゴルの人たちと出会ったが、彼らは一貫して内モンゴル人と自称し、日本人も彼らの国籍を内モンゴルと記録し、数えるときも一つの国として数える。国内では、内モンゴルの友達と結構仲良かったし、内モンゴルはチベットやウィグルみたいに騒いでいなさそうだし、正直、ちょっとびっくりした。チベットやウイグルは表に出ているからわかりやすいけど、国内で静か内モンゴルにとって、「中国」ってそんなにいやがられているのか。歴史を見ると、賢明な政府のもとで、社会が安定するとき、異なる民族でも仲良く交流する。少数民族がひどい目に遭ったときは、大体社会全体が不安定し、漢民族でも苦しんでいるのが多いのではないか。よく例に挙げられる文化大革命はまさにそういった狂った時期であった。 中国では古代から、異民族が戦ったり、互いに尊重しあったり、一緒に生活したりした波乱万丈の歴史を歩んできた。漢民族といっても、実はそんなにピュアではないと思う。歴代の中原王朝は、周辺の他民族といかに付き合うかを結構悩んできた。互いに独立し尊重しようといったら、平和な情勢が保てる甘いことではない。中原王朝はちょっと衰えたら、周りの民族はすぐ攻めてくる。万里の長城はまさにそういった防衛のために作られたのである。 今の中国では、いくつかの少数民族自治区を設置し、少数民族による自治という行政制度を作った。結果から見ると、詳細を把握していないが、最初の旨がきちんと実践されなかったか、異民族の間の関係はまだよろしくない。国政権の安定を脅かす存在を警戒するのは、程度の差があるが、どの国でもあるのではないか。しかし、普通の漢民族の一員からすると、他民族の文化や言語を完全に潰そうとする理由は今一見つからない。中国の言語の現状からわかるように、標準語があっても、標準語と異なるたくさんの方言が生きている。「中国文化」と一括りできないぐらい、各エリアの独自な歴史や文化が維持されている。一番大きくいうと、北と南出身の中国人は、違う民族みたいに、顔立ち、体格、言語や性格には異なる点が多い。また、大体今多くの中国人にとって、国内旅行といえば、チベットや新疆など、自分の文化と違えば違うほどのエリアに行きたがっている。チベットや新疆などの少数民族集中居住地以外に、漢民族と同じエリアに住んでいる少数民族も多い。ただし、少数民族は大抵経済的に遅れているから、代々漢民族の文化や習慣を学ぶことによって、自分の文化や伝統が失っていく恐れが見られる。しかし、個人にとっては、同一民族、同一文化ほどせまくて、つまらないことはないから、異民族・異文化への興味はいつでも抱いているし、みんなでそれぞれの文化を守っていけたらとつくづく思う。
9月 25, 2010 - Posted by xiaoling- 2 Comments
新婚旅行兼結婚半年記念で、バリ島に行ってきました♪二人とも好きな南国の海と島、異文化・異宗教・異環境ではj自分の文化の見直しチャンスであり、新しい体験もできるし、素晴らしかったです。記念に、少し感想を綴りました。 [言葉] 1、地名を聞くとき、英語ではなく、現地言葉の発音で聞くこと。現地訛りの英語は訛りルールがあり、わかったら聞きやすい。 2、日本語がわかる人は多い。しかし、日本語はより互いに意思が通じること以外に、特にメリットがない気がする。日本人は、基本的に日本円感覚でお金を惜しまなく消費していて、だまされやすいイメージがあるかも。 3、行きの飛行機でしか勉強していないインドネシア語もフル活用した。もう少し挨拶や数字がしゃべれたら、より便利、より楽しめる。 [交通] タクシーが高くて、場所によって少ないし、バスや電車の公共交通も殆どないので、チャーターで回るのが便利。代理経由で依頼するより、個人ドライバーに直接頼んだほうが安い。連日回るなら、より値切りができる。レンター(車、バイク、自転車)もあるけど、車もバイクも危なそうで、短距離なら、自転車がいいと思う。ジョグジャガルタなら、ベチャも楽しい。 [泊まる] リラックスをもとめるなら、Nusa duaのリゾート地エリアがいいけど、周りは特に回るところがなくて、物価も高い。中心地のUbudに色々楽しむところがあって、そこに泊まっても面白いと思う。あと、ホームステイ系を探してもいいかもね。 [食] ガイドブックに紹介されたレストランははずれが少ないけど、小さな店で、家庭の味の食事が好き。ジンバランビーチでのシーフードは味がいいけど、観光客が多すぎて、煙っているし、リラックスができない。UbudのBebek Bengil(Dirty Duck)がおいしくて田園風景も最高。Tanah lot寺院の上の店で食事しながら、夕日を眺めるのも素敵。生の椰子のみが好きでしょうがない。ジュースも白い実も。 [宗教] ヒンドゥー教にはじめて触れた。一つの信仰はよく人々の生活を整えてくれた世界を尊敬する。ジョグジャガルタの二つの世界遺産も感動。シルエットという形をしているprambanan寺院、Kamadhatu(俗界)、Rupadhatu(色界)、Arupadhatu(無色界)からなっていて、釣鐘状のストゥーパや多くの仏像、彫刻が一つずつ、圧倒的な存在感を示しているBorobudur仏教寺院は、中国と日本の仏教のお寺と違って、もう一つの「仏」という解釈を見せてくれた。信者日ごろの思い、神様のシステムについてまだまだ知りたい。ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、仏教は多宗教でもよく共生しているエリア。 [人] 人々は穏やかで情熱的。子供は外国人を見かけると、必ずHelloと挨拶してくれる。街の中、左右を見ながら迷った顔をしたら、Can I help youと声をかけてくれる。英語が分からない人に道などを聞いたら、回りの英語がわかる人は足を留めて助けてくれる。すぐさまうちらを中心に囲まれて、会議の場が形成されて逆に楽しい。熱心な人もいると思うけど、ガイドしてあげようと言われてもあとでお金が請求されるから断らざるを得ない。 今まで黄色い人種の国しか行っていないので、町をぶらぶらしていて、初めて回りに珍しがられていて、よそ者の気分。日本語をしゃべらない限り、台湾人や韓国人も思われたりしていた。中国人といったら、バドミントンが好きとすぐ反応した人もいて、中国人=バドミントンをやるイメージは新鮮。面白いのが、二人とも中国から来たと言い切って、向こうは旦那のことを日本人に似ているけどねと不思議がっていた。そういうとき、二人は日本語会話を禁止するしかない。あと、珍しいオランウータンとも「家族」写真を撮った! [景色] 広々とした海や空が眺められるし、太陽、月、星も身近に見えるから、ついつい人間、地球、宇宙のことを考えてしまう。椰子の木と緑の田圃の組み合わせは初めて。山のライステラス、棚田も心を洗ってくれて、南国の田園風景は素晴らしい。家ごとにFamily templeを持つらしいので、民家なのか、お寺なのか、わからなくなるぐらい人と神の融合する町。 [伝統芸術&文化] Batikという伝統服装や、宗教的な舞踊ケチャ、仏像彫刻、木の彫刻、油絵みたいなpaintingが町を飾っているし、人々の生活に染み込んでいる。ガムランも面白い楽器で、一応たたかせてもらった。 最後は、色んな宗教・文化・出身国の人と話をするとき、やはり自国の文化に詳しくないと、相手にとっては、会話を続ける価値も面白さもないと改めて思った。すしやさしみの作り方とか、どんな宗教を信じていて、日ごろ何をするか、日本の保険制度はどうなっているか等々、質問が次々と飛んでくる。それで自国の理解、イメージにもつながるから、一種の文化伝達の使命が課されている感がある。同時に、相手国のそういった文化にも興味を示して、聞き返したほうが礼儀だし、対等な交流が成り立つ。 旅の一日、バリ島現地の人が主催した自転車ツアーに参加した。主催者は現地の住宅や田圃などを実際に案内してくれながら、生活の様態、考え方を普通のガイド以上に親切に詳しく紹介してくれた(英語で)。参加者の質問も全部的確に答えられるし、まさに民間の文化大使だと感心した。自分は故郷の文化をまだ外国語でそこまで紹介できないなと改めて反省した。今後は東洋文化の代表として国際的なステージで堂々と世界と交流できるといいなと再び思った。
9月 24, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
魚釣島(尖閣諸島)の衝突問題で、中日関係の緊張は高まっているこの週です。先日パパからの電話にも、魚釣島問題で、日本で情報が流れているか、大丈夫かと心配されました。こちらの反応や意見が求められている雰囲気でしたが、なんといえばいいのか即答できませんでした。やはり自分の意見を持つべきだし、ネットや新聞でこの問題について改めて勉強しました。知識としては、Wikiページが、歴史やそれぞれの言い分をわりと客観的にまとめてくれたと思います。 問題の本質はやはり領土紛争問題ではないかと思われます。中国側は、日本がよくこういう所有権に異議がある領域(異議ありということは日本が知らないわけがない)で日本の法律という名目で外国人を逮捕し、明らかに挑発的だと受け取っているようです。もともと中国民衆は、日中戦争の恨みや、日本側が日中戦争への認識や態度に対する不満が根本的に解消できていません。たとえ四川地震救援を助けに来た日本人に好感を持っていても、たとえ日本旅行で日本のまちの清潔さなどによいイメージを抱いていも、何か国や民族レベルでトラブルが起こったら、ポジティブな一面はすぐぶっ飛ばされます。一般民衆は反日の感情や動きが高まったら、中国政府は、日本に対して強硬の姿勢を取らないわけがないでしょう。ましてや、もともと国の利益も絡んでいることだし。外交の事情で司法を動かせるかは日本内部の問題で、とにかく日本という国に訴えるでしょう。一方、領土問題を無視して、自国の法律に則って対応しているだけのような日本側の発言は更に中国民衆の反日感情を刺激したというしかありません。 この時点で問題が発生したというのは、日本の経済大国の地位が中国に代わられるけど、まだまだ実力が強いよと日本側が示したかったのではないかと、中国は経済がどんどん強くなっているから、周辺領土問題をより一層重視し、関連の国にプレッシャをかけ始めたという解釈もあります。 今のアメリカは、尖閣諸島に対する日本の「施政権」を認めているが、「主権」を認めたわけではないそうです。ただ、日本の施政下にある尖閣諸島が武力攻撃を受けた場合は (日米安保条約5条に基づき)共同防衛行動をとるということです。1971年6月、アメリカは、沖縄を日本に返還するついでに、魚釣島も日本管轄にさせました。1971年、中国や台湾がより強く所有権を主張し始めたのは、石油狙いも否定できかねますが、アメリカが日本への無断「返還」に対しても強く抗議した行動でもあります。中国側は19世紀初から、外国による侵略や、国内の戦争で、精一杯だったし、文化大革命の時代も、領土問題を解決する余裕がなかろうか、ちゃんと国際社会に自己主張し、行動できなかったのも問題です。どの時代にも実力者がものをいうでしょう。 なんといっても、それぞれの立場でものごとを判断する基準や根拠にそもそも食い違いがあるから、歴史問題を延ばせば延ばすほど複雑になってくるし、結局現時点の実力や利益に基づき、交渉で終わらせるしかないかもしれません。問題が一時的に解決できていも、互いに「不愉快」な時期が思い出や歴史に残るしかありませんが、これを機に、第三国の立場に立って、互いへの理解が深まるといいですね。
8月 27, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
先週の「ホンネの殿堂」で見た「夫の下心ためし」のようなコーナーの話だけど、ある芸能人がわなにひっかかって、浮気する気満々でした。紳助が「結婚しているから、こういうことはしてあかん」と知らないかと問い詰めたら、その芸能人は、「だって、松嶋菜々子に似ているよ。松嶋菜々子だよ」とちっとも罪悪感も羞恥感もない顔で連発していました。しかも、隣の席の奥さんを指して、「こっちはもちろん大事にしますよ」と弁論していた。もっと不思議なのは、その浮気映像を見て、上記の会話を聞いて、怒るどころか、ずっとにこにこしていて、誘う女に「うちの旦那、申し訳ない」とまで謝る奥さん。スタジオから、奥さんに対して、「偉いですね」という声も上がりました。 もう憤りが!この日本語を勉強し始めてから、今でも消えない最大のカルチャーショック、つい爆発してしまいました。日本社会はやはり最低限の性倫理がないのでしょうか。 日本語で検索したら、性倫理、性道徳のキーワードでは殆どヒットしません。本とかを見てみたら、日本人は、性を人格、道徳、家庭、婚姻などから切り離して考えているようです。性が肉体上の生理現象しか考えていない意味からすると、動物とあまり変わらないかもしれません。倫理は人と人の関係を規範化することで、だから倫理になっていないか。倫理がないから、不倫をしてしまいます。不倫とは、人の道から外れた行為と意味しています。 やっぱり家庭や妻を失いたくないから、不倫を止めたのは、倫理ではなく、単に現実的な利益で理性の判断です。大体、「こっちもこっちで大事にしているから」、「家庭さえ壊さなければ別にいいじゃん」のような腹立つ発言が自然に出てしまいますし。人間が自分の本能や衝動をコントロールする力は、主に宗教、道徳と社会風習から来ていると言われます。「古事記」に既にいざなぎ、いざなみの二神のセックスが赤裸々に描かれています。豊穣儀礼には、宗教的な売春があったぐらい、性を聖なるものとみなされます。そういう原始的な段階では、ほかの地域もある現象だと思われますが、『源氏物語』、『好色一代男』、『失楽園』などの文学作品や、史書の記録で描かれた社会様相を見てわかるように、いくら時代を下っていても、不倫を制約する倫理が形成されていないようです。むしろ、おおらかなセックスや売春が認められています。それも、今の風俗業の繁栄につながっているでしょうか。「姦淫するなかれ!」。これは儒教倫理の基本だし、佛教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では禁止行為と戒律の中で定められていて、地獄へ導く大きな罪となっていますが、日本社会にはどれも浸透できていないとしか思えません。ちょっと残酷ですが、イスラム教の社会では、今でも不倫の犯罪者に投石処刑が科されるそうです。ほかの社会は、そういった宗教倫理があるから、不倫行為が少ないという意味ではありません。これをやってはいけないという究極的な裁判官がいるから、社会に規制されたり、罪悪感や羞恥心を持って、本能と格闘したり、反省したりしている人間社会の秩序があるわけです。「不倫が文化だ」と宣言したり、不倫してもされてもしょうがないと気軽に流したりする日本人と質的な差があると思います。 社会風習からみても、現代の家庭教育、学校教育、法律、マスコミ、どれも不倫行為を甘やかしているように見えます。一番身近な奥さんでも、愛のない風俗なら許すとか、肉体関係がなければいいとか、わからないようにしてくれるならいいとか、不平を言わずに自分を抑えがちな人が多くて、理解不可能です。不倫女も、悪いことをしているという自覚が薄くて、ただ舞い上がっているのが多いのではないでしょうか。 貞節の義務とは、他の人とはセックスしないことのではなくて、他の人と性関係の成就を求めないことです。犯罪記録はないから、疑われるのが根拠ないという男の言い分は甘えすぎのではないかと思います。 色々考えてきて、理解しようとはしましたが、この社会のこういう考え、文化はあまり賛成できません。自分の価値観と違うのもそうですが、そういう考え、生活スタイルで、社会全員が幸福?より不幸そうなのだからです。下記、デュレクス社による性生活幸福度世界調査結果も参考になるでしょう。 http://www.insightnow.jp/article/4309 http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=36189 また、子育てへの影響、熟年離婚、少子化問題などもこれと無縁とは言い切れないでしょう。
8月 10, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
NPO法人国際教育文化交流協会主催で、2010年8月7日土曜日13時~16時30分に神戸市東灘区民センター うはらホールにて、第 1回 世界の文化と民族音楽『We are the world』が開催されました。当日のプログラムはHPに載っています。「読売新聞」地域面神戸には、「親子200人外国文化楽しむ」という記事に紹介されています。 私はちらし担当と、中学生の一日@中国をプレゼンしました(@チャイナドレス)。We are the worldに呼応して、「世界は一つ。地球の子、集まりましょう」というフレーズを捻出しました。中国語はいくつかスマートな四字熟語があるのに、日本語でそのニュアンスを表すのがどうも難しいです。理想ではありませんが、自分としては一応納得しています。 当日の会場は映画館みたいで、スライドショーがよく映るため、照明が消されていて、舞台に立つと、下のお客さんの表情がよく見えなくて、基本的に自分のペースで話を進めてきました。15分の時間制限ですが、結局ちゃんと時間を守ったのは私だけかもしれません。というか、15分だから、中学生の一日という小さなテーマにしぼったわけもあります。ほかの国の発表者は、20-30分まで写真や映像を入れて盛りだくさんでした。このチャンスを掴んで、自国の文化をなるべくたくさん紹介して、伝えたい気持ちはもちろんわかります。その他、内モンゴルの馬頭琴演奏、ワールドルームの7ヵ国の子供たちのダンス、西アフリカの太鼓踊りもあって、とても盛り上がりました。第1回なので、次回は、自分も何か民族音楽やダンス、スポーツ演技を見せたらいいなと思っています。 協会の理念と完全に一致していないかもしれませんが、こういう活動への考えや感想を話したいと思います。目標はタイトルどおり、異文化交流による多文化共生を実現することです。日本経済の活性化の一環として、観光やネットショッピングなどで外国人による消費を促し、外国の優秀な人材を受け入れ、育成、活用することにより、日本企業の国際化に貢献することが必要となってきているでしょう。しかし、現状では、外国人をたくさん受け入れて、外国人が楽しく長く日本企業で働いて、日本に住み着くための社会風土や文化的な基盤はまだ整っていないかと思います。 経済の原因などを抜きにして、日本人にとっては、日本人しかいない社会が最も安心、安定すると思っているのではないでしょうか。国によって違いますが、日本に来ている外国人に対して、好奇心の目、親切な目より無関心な目、異様な目、嫌悪な目、恐怖な目で見ている日本人のほうが多いでしょう。外国人の子供は日本の学校で、よくいじめられたり、外国人は日本人同士のコミュニティの中に溶け込むのも簡単ではないようです。外国人は確かに日本文化を深く理解し、日本の風習やルールに従えていないのがたくさんあります。なので、常に周りを観察し、勉強する必要があります。一方、日本人は、不満に思っていても、相手にどこが問題なのかをはっきり言わないし、外国人だから、しょうがないと自国の文化を説明することさえあきらめている人が少なくないでしょう。自国の文化を説明できるかどうかはまた別の問題ですが。つまり、こういう現状になっているのが、やはり異文化交流の意識も行動もまだまだ足りないからだと思います。今回のイベントのように、特に日本人(親、先生、子供)にとって、異文化に触れて、異文化について考えるきっかけをどんどん作っていけたらいいなと協会の会長と話しました。ぜひご参加ください。 PS:当協会は、留学生の就職活動専門研修事業も実施しています。
7月 21, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
先日、早大に留学していた日本語学科出身の友達と1年半ぶり会った。就職、仕事、日本、北京のことをたくさん語り合った。友達は既に仕事を始め大人になった感じがするけど、逆に前は会社生活が大半を占めていた私は、一組織に縛られずにフリーになって、はしゃいでいた。 一週間ずっとゴホゴホと咳きをしていると話したら、「北京の空気が乾いているからでしょう。特に東京と比べて」と言われた。そうか。やっぱり。レストランは事前に決まっていないから、探すのにちょっと時間がかかった。店がずらりと並んでいるように見えるけど、辛い料理か、脂っこい料理か、ファーストフード系か、割高な高級レストランしかない。東北出身で北京の大学に通っていた友達は、「しょうがないね。北京の人は辛い料理か脂っこくて味が濃い料理が好きみたいだから」と。そうそうそう。この間持ち帰りの北京ダッグはおかゆか、スープにした。ダッグがあれば、オイルも味付けも要らなくてわりとおいしく食べれる。まあ、最後はやっとシーフード系の店が見つかって、辛子が要らないと強調して注文できた。幸い、家の近くに新鮮で安い八百屋さんがあって、ほしい食材はすぐ入手できるし、毎日これまでなかった強い願望で自炊したい。飲み物は瓶の棗ヨーグルト(枣酪zao3 lao4)にした。スーパーにも棗味のヨーグルトが普通に売ってある。相性はまあまあだけど、棗が体にいいから、冷蔵庫にたくさん仕入れた。ほかのところで飲んだことがないから、北京ならではのものかな。 食の話はいつも止まらないな。さて、次の話題に移す。友達は大手の日系PCメーカーの内定を断って、本部がNYにある金融コンサルティング会社に就職した。理由の一つは日本語、日中間よりもっと広い会社がいい。もう一つは、日系の人事兼コミュニケーションの仕事より、一つの分野の実務知識を最初から吸収したい。今の仕事内容は、日本の金融情報を英語でまとめることで満足だと。中国の日系企業といえば、最近飛び降り自殺する会社員が多くて話題になっていて、中国人が特に女性の昇進が見えなくて、相変わらず評判が悪い。日本語学科の学生は特別でしょうがないけど、普通の学生は日系企業に就いても、二流人材に思われるかもしれない。一流は欧米系、国営系、もしくは韓国系に行っているから。 ほかの同級生の進路を聞くと、三分の一海外留学へ(主に日本だけど)、三分の一修士課程へ、残りは就職した。日本での就職は考えていないのと聞いたら、「日本って、仕事どころか、留学経験がある友達は留学1年で十分と皆言っていた」と。「そうか。なんで?」「あの社会に合わせるのが疲れる。自殺率を見ればわかるでしょう」と。やっぱり。自分も最初の留学1年でそれぞれ違う楽しみがある四季を楽しんでもう終わったから、とても充実して楽しかったけど、長くいればいるほど、合わないか、慣れていない習慣に多くぶつかってきて、自分らしく過ごせなくて我慢するときは増えてくる。 ちょっと古いけど、この間見た日本企業における外国人の就労についてのアンケートを思い出した。日本で働いている外国人は日本企業への就職を勧めたくない理由のトップが「出世に限界あり」と「日本企業は外国人の異文化を受け入れない場合が多い」とのことらしい。日本企業は、たとえ外国人の人材を採用しても、その人材の強みを発揮し、育成していく意識もノウハウも風土も不足しているかと思う。前はなんらかのきっかけで直接聞いた話では、経済産業省の関係の方は、既に問題がわかっていて、色々動き出しているようだけど、日本の社会風土は、世界中の人材を引き付けて、留められるように変わっていくのを切実に期待している。
7月 15, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
先日、早大北京事務所の日本人の方と会ってきました。同じビルに東大や、創価大学の事務所もあって、教育交流、研究提携などの事業を展開しているそうです。 北京はどうって話をしたら、北京滞在は結構楽しそうです。Iphoneは電話で注文したら、20分後届いて、5分後日本語インタフェースや日本語入力もできるようになって、便利すぎてびっくりしたとか。あとは、Iphoneで使える日中翻訳のアプリがほしいなという話も。帰ったらすぐDarlingに注文しましたが、もう少しお待ちをと言われて…… そして、中国の人と話すより、日本本部とのコミュニケーションのほうが気を使うとその方は言っていますが、いかに中国の人と接するかについて、悩んでいてつらい日本人のスタッフもいると言いました。 またありきたりの話題が出ましたが、改めて考えたら、中国人は基本的に自分の言いたいことを言うほうだけど、日本人は特に人と違う主張や考えを言うことを恐れているかもしれません。そういう均一的、協調性が守られている社会の育ちだから、人にNoを言ったり、はっきりと且つ論理的に人と議論するのが、慣れていないし、殻を破る勇気も要るのではないでしょうか。日本人自身も困るように、日本人と接している外国人も同じぐらい困っていると思います。一般的な外国人は、ものをはっきり言わない日本人が何を、どうして、どうやってこう考えて、行動しているのか、に対する日本人並みの察する意識、常識、力が足りないと思います。「察してよ」と相手に要求するより、日本人側が、相手のロジックを理解した上で、自分の考えをわかりやすく伝えて、もう一歩を踏み出したほうがよりスムーズにコミュニケーションできるかと感じています。
7月 12, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
初めて北京に来たのは、7年前だったかな。学部生の卒論授賞式の参加。授賞式自体はよかったけど、冬で、雨も降っていて、寒かった。寝台列車で片道24時間もかかって、帰りは突然肩こりになって、今に至った。その後、一回わざわざ修論の資料収集のために来ていた。砂嵐で空は見えなくて、お風呂はちゃんと入れなくて、料理が辛かったり、饅頭が固かったり、とにかくおいしくなかった。その後の後は、仕事で2週間の研修だった。また辛い魚料理が出て閉口した。 考えてみれば、私にとって、北京の魅力は、三つの「多い」かな。名所旧跡が多い。資料が多い。いい大学が多い。自主的に行きたいと思うのは、この三つのどれかだ。この三つが中国では優先的に集められいるから、しょうがなく行く感が多いね。都だし、中央集権みたいなもんだし、昔から諸々のリソースが独占されていても別におかしいとだれにも言われない。 北京なまりの中国語に合わせるのは、日本語に合わせるより、言語神経を使う。特にZhi,Chi,Shi,Riだな。東京と比べたら、空気も水もだめだけど、食材やフルーツ、豆乳などはより豊富な気がして(中国の大都市なら大抵これらを揃っているけど)、自炊できればまだなんとかなる。外食は平均的に今一。夜買った饅頭は相変わらずまずかった。あの有名な北京ダッグも、あの脂っこいしつこさは、せいぜい二枚。噂によると、北京ダッグは中国の大都市で、唯一進出できなかったのが、広州らしい。うん、せいぜい二枚だから、商売にならないね。 ということでどうも北京が好きになれない気持ちだけど、今日は好きなところを二点発見した。一つは、北京の人は基本的に爽快で、やりとりの効率が高い。二つ目は、一つ目とも関係があるかもしれないけど、広いところが多くて、視野が広い。上海も広州も東京もどちらかというと、ごちゃごちゃ系。環境は人を育てる。広いところを眺めれば眺めるほど、視野も心も広くなる気がする。小さなことにもくよくよしないし、気にしない。仕事ならそれなりの細かさが必要だけど、生活なら、ちょっとおおざっぱでもいいかと思った。変な思い込みや、自分を窮地まで追い込めるより、明るくて、前向きになるほうだと思う。 東京の都立図書館も国会図書館も環境や施設が優れているけど、北京の国家図書館の広いスペース、広い本棚、広い机も心のゆとりを作ってくれている。
7月 10, 2010 - Posted by xiaoling- 2 Comments
古代ギリシア文明は、理性や知識を尊ぶ価値観を世の中に出した。 古代ユダヤ人やインド人は、信仰、超越的な神様を究極の価値にしている。 古代中国人は、人と人の間の感情で世界を構築しようとしている。 我が家は、理性が働きすぎて、議論好きかもしれない。互いに「違うと思うことは、そうかと笑い飛ばせない」「納得しないことは納得しない」派だから。日本人の女なら、普通こういうところ男と争わないよとか、中国人の男性なら、これぐらい女性に譲るよとか、我が家になかなか通用しないみたい。ただの強弱、勝ち負けの問題じゃない。互いのことを傷つけない限り、議論は疲れるというより、脳が鍛えられて充実感がある。老年も二人でいる限り、「ぼけ」はないと思う。 そもそも、言葉、文字、概念、知識という理性のグループは全部限られている。突き止めたら、絶対に正しい基準はない。もしくは神様に求めるしかない。きちんと条件や前提を明確にし、枠を作った上で、正しいことはまだ言えるかもしれない。そういう条件つきのトピックを議論するなら、主観的な気持ちをなるべく除いて、概念や範囲への理解を確認し、根拠を明確に出して、論理的に話していくしかないな。同じ結論に無理に合意させることはない。二つ似通っても、独立した魂だから。 しかし、もし議論が喧嘩に転んでしまったら、またいつも人情、愛情で仲直りする。相手のことをたくさん心配して、相手にいやな気分をさせたくない、相手に楽しい毎日を送ってほしいという率直な気持ちがじわじわと沸いてくる。「情」のほうは、「理」に敵い、「理」を和らげている。 宇宙のあの究極のエネルギーのもとで、我が家らしい我が家を築いていきたい。