3月 21, 2011 - Posted by xiaoling- 0 Comments
I will present “Daoism without Dao in ancient Japan” tomorrow morning at Asian Conference on Ethics, Religion and Philosophy, at the Ramada Osaka, Osaka, Japan. http://acerp.iafor.org/Program.html The abstract is as bellow. The current trend of the study of Daoism in ancient Japan can be divided into two aspects. One is to continue to indicate what [...]
7月 5, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
今日は朝世田谷公園で運動できて、チケットも取れて、午後ある聖徳太子研究の先生とたくさん話せて、50円均一のブロッコリーと新鮮なとうもろこしも買えて、帰途は大雨に遭遇したけど、なんか幸せな一日でした。 今日会った先生は、お母さんの癌を看病する隙間に、研究情報をブログで更新しつづけていると聞いて、自分はまだ情報を蓄積する段階ですが、もっと時間を作って有益な情報を発信できたらいいなと思いました。 研究の話に戻ると、広州では、何人か先生と会ってアドバイスをいただいて、確信を得ましたが、道教研究の先生が日本のことに詳しくないし、日本研究の先生が道教のことをよくわからないようです。結局具体的な進め方は、自分で探って行くしかありません。 日本では、ちょっと強引な論証で「道教と古代日本文化」ブームを起こした説はあっても、それに対して、批判したくてもよくわからない学界の不都合で書きにくいとかという噂話がありました。しかし、あえて表に批判したり、反省したりしている説も絶えなくて、日本史研究の大家も見直すと言っていますが、今一「道教」という言い方、概念、枠をはずして議論したほうが一番無難なようです。うん、知識としての道教、神仙信仰としての道教、術としての道教、研究対象としての道教、などなど、人の立場によって、まちまちです。 しかし、自分はやっぱり真正面から、古代日本はなぜ「道士法」を断るようになったか、どう理解していたか、どう取り入れたかを取り組みたいです。取り組んでいます。 最後は、漢字文化圏の子音KTPの脱落か、母音追加するか、現状維持するか、中国、日本、朝鮮、ベトナム、それぞれ自分の道を選んで、進んできた話がありました。神様の交流もそういうプロセスを経たのではないかと先生の示唆が面白かったです。
5月 13, 2010 - Posted by xiaoling- 2 Comments
道教、道教と日本について、いくつか憶測を記しておく。 1、道教は、民間信仰を批判し、諸民衆宗教(よく初期道教と言われる)の経典を厳選し、仏教の教団組織を習って、道教たる経典と組織制度を整理し、体系化し、精神と肉体と共に不老不死を目標とする宗教である。民間信仰を道教と等同視してしまうと、5世紀ごろ、民間信仰を厳選し、仏教と対抗できるような「道教」を作り上げ、一種の革命を起こそうとしていた「道教」の先駆者は仙界にいても、とても辛いであろう。 2、民間信仰の知識は、一般の中国人、中国の知識人、また仏教僧も持っている。彼らは、朝鮮半島に行き、またそれらを吸収した百済人なども、日本列島に入っていた。仮にのちの道教に吸収された民間信仰であっても、大陸的なものか、仏教的のものと思われ、いずれも道教という整った宗教の形が入ったのではなかった。神仙思想も老荘思想もイコール道教ではない。しかし、道教に吸収された要素は今の日本でもたくさん形跡が見出される。 3、壬申の乱が経て、日本列島を統一しようとする天武天皇は、どれほど整った道教を知っているであろう。とにかく、国を統一し、治めるには、体系化された明確的な仏教のほうが都合のいいイデオロギーだった。中央集権を支えるために、儒教的な律令制度を取り入れた。日本固有の「神道」も民間信仰のように、固く存在しているので、神仏習合の問題だけで結構手を焼くほどなので、整った道教を知っていても、仏教に入れたりして、分解させるであろう。というか、中国では、老子が釈迦様の派遣した菩薩である(日本に確実に伝来し読まれた『清浄法行経』)のような説があって、それはまた神仏習合、本地垂迹の発想の参考になったし、仏教は最初から道教や老子の教説を網羅していると考えられていたかもしれない。 4、唐代には、唐の君主が老子と同じ李という苗字を持ち、道教を国教のように崇めた。日本は、唐に対して、表面的に、それを尊重し、勉強する姿勢を示したが、日本内部では、他国の祖先崇拝のものを取り入れるものか!と判断し、道士法を拒否した。 5、道教の組織制度により、経典を容易に伝授しないし、合格的な道士になるのが相当難しい。最初から広く伝播する性質を持っていない宗教といえるであろう。
4月 14, 2010 - Posted by xiaoling- 3 Comments
前回は、道教とは何か、ちゃんと定義しないと研究が始まらないなと結構悩んでいました。 ふと現代の日中の互いへの理解を見て思ったことですが、 中国の道教と日本人が受け取り、理解した道教は必ずギャップがあると思います。 時代の差、内容の差、量の差、それぞれ意識的に、無意識にかけたフィルターによる差などです。 現代では、通信手段がたくさんあるわりに、まだこれだけのギャップがあるというのは、 古代のように、朝貢する人や遣唐使による公的なルート、書籍伝来、渡来人などによる民間交流ぐらいしかなさそうなとき、 相当ギャップがあったのではないかと推察されます。 ということは、日本人を主体にする「道教」への理解を探ったほうが確実かなと思いました。 ここで、次の課題に直面します。 一つ目は、やはり「道教」をいかに捉えるかのことです。 「中国の道教」から考えると、老子の哲学、神仙信仰、方術、儀礼、医学など、極端にいうと、儒教や仏教にはっきり分類できないものは道教体系に入れてしまいがちです。こういった道教要素の日本文化に与える影響論、神仙思想を中心に古代日本の受容・発展論は多くあり、どうも私が理解している外来の仏教、現地の儒教に挟まれて、危機感のもとで形成された道教の姿は見えなくなっています。 ずっと頭に置いている疑問ですが、日本にとっては、同じく外来思想なのに、どうして儒仏道それぞれの行き道が違ったか、については、先行研究もあまり触れていません。 従って、現時点で調べた限り、奈良平安の日本人の「儒仏道三教観」から、古代日本の「道教」観、道教への理解、受容を見てみたいと思っています。 二つ目は、知っている関係文献や材料はまだ少ないです。 中国側の文献は略して、日本側について、今これしか知らなくて、読んでいません。 1、空海の「三教指帰」と唐から持って帰った「三教不斉論」 2、「清浄法行経」 神道、密教、修験道、陰陽道などの文献も探ってみようかと考えています。
4月 7, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
「道教」は、最初は「聖人」の「道」を説く「教」の意味で使われ、その意味から儒・仏の教えをさえ呼ぶ名称となっていた。つづいて五世紀に、仏教と対抗するために、中国民間の呪術信仰、戦国期の神仙道、老荘思想、後漢の民間信仰による五斗米道、さらに仏教の教理や儀礼などを重層・複合的に採り入れ、不老長生を目的とし、老子を教祖として教義教典を体系化し、道家だけを指す「道教」が作り上げられた。 主な参考文献:酒井忠夫、福井文雅:《道教とは何か》(酒井忠夫编《道教の総合的研究》,1977。《道教》第一卷,平河出版社,1983。《道教と日本》第一巻,雄山阁,1996。) 其实,中外学者对何谓道教的问题做了许多回答。《道教》一书将日本学者为道教所下的定义归纳为以下13种: (1)道教是在道家的名称之下,混合了神仙道和天师道, 特别包含了民间信仰,并融合了佛教和儒教的教义与仪式,将老子神化,以长生升天为教旨,为了消灾弭祸,行各种方术。 (2)是从神仙道吸收服食炼养,从道家哲学吸收治心养性, 从民间信仰吸收多神,从巫祝吸收章醮之法,将这些综合统一起来。 (3)道,对于儒教和道教是共通的。 在中国民族的社会和政治中居正统地位的是儒教,异端是道教。 (4)与提倡合理主义的孔子的儒教相对, 道教标榜神秘主义的、隐遁和瞑想的老子学说,宣扬以咒术降伏疾病和支配自然力。 (5)老子论述道和自然的一元论,道教以最高观念为至高神, 奉为天或上帝。唯一的至高神天或上帝失去政治性后,在道教中成为玉皇。道教还信仰这位唯一至高神的众多属神,它们分好几个等级。在玉皇之前,至高神被称为由老子神化而成的太上老君和元始天尊,还创造了三清等至高神。因此,道教可称为交替神教,不能称为一神教。 (6)将道教和神祠宗教相区别, 后者供奉守卫民间和地方各种民众现实利益的众神,属于古代方士和巫祝神祠系统。神祠和寺庙供奉的众神,可分为佛教、道教和民间宗教三类,大部分是关于自然力、动物和历史人物等民间宗教(民间信仰)的神,纯粹道教的神不多。 (7)道教是从中国古老的民间信仰发展起来的, 其内容和形式又分为二。一是拥有道观和道士的教团组织的成立道教(亦被称为教会道教或教团道教),另一个是总称民间一切道教信仰的民众道教。道教内容包括:一、道家哲学;二、谶纬、巫祝、阴阳、神仙、卜筮等术数性部门;三、辟谷、服饵、调息、导引、房中术等医术性部门;四、民众伦理性部门。道教是以这些为基本内容,仿效佛教归纳而成的自然宗教。 (8)道教是中国的民族宗教,可与日本的神道、 印度的印度教相比较。通过日中文化交流,儒教和佛教进入了日本,但道教没有传入日本人的社会。道教是适应中国社会各阶层特别是庶民阶层要求的宗教。官僚统治阶层在个人私生活中也信仰道教。从官僚逸脱到民间的知识分子即逸民,倾其智慧整理道教教理。 (9)一般来说,尤其在中国人中, “道家”和“道教”被用作同义词。如果定要区别二者的话,那么道家是philosophical taoism(哲学的道),道教是religions taoism(宗教的道)。道教神化老子,称老子为太上老君或玄元皇帝而加以崇拜。该宗教的庙宇和教团,祭祀以老子为中心的多神。道教经历了从原始道教(古道教,寇谦之以前的道教)到旧道教(以正一教为中心),再到新道教(以全真教为中心)的发展过程。 (10)道教是将中国民间的咒术信仰、老庄思想、神仙思想以及其它种种杂多的宗教性和拟似宗教性的诸要素综合在一起的宗教。它在东汉末组织起自己最早的教团。这种教团是在当时农村条件下和民众信仰的基础上创立的。可以把道教看成中国的民间宗教。 (11)道教是综合自古以来的民间信仰、神仙说和老庄思想,以老子为开创者,模仿儒教的道德学说、佛教的因果报应思想以及佛经、佛教教团组织而建立起来的宗教。 (12)道教和儒教一样,是中国人及中国社会的综合性的文化形态。其要素包括哲学、思想、宗教、迷信、民众生活、风俗、习惯、道德、文学艺术、科学等,或者与这些内容有关。它贯通中国历史。它是在一定的风土和地域条件下,在与政治、社会、文化各个方面的联系中产生并发展的。它是中国有代表性的民族宗教。 (13)是以中国古来的萨满教的咒术信仰(鬼道)为基础,在其上部重迭地、复合地吸收了儒家的神道和祭祀的仪礼与思想,吸收了老庄道家的“玄”和“真”的形而上学,并吸收了佛教的教理和仪礼等,在隋唐时代大体上完成了作为宗教教团的组织、仪礼和神学,以同“道之不灭”合为一体作为最高理想的中国民族的土生土长的、传统的宗教(注:福井康顺等监修、朱越利译《道教》第1卷,第3—5页。 上海古籍出版社,1990年6月第1版)。 对此,酒井忠夫和福井文雅总结如下,”道教“一词最初是在宣述“圣人”之“道”的教这一意义上使用的,在这一意义上甚至称为称呼儒、佛二教的名称。及至5世纪变为仅将道家称为”道教“。道家与儒、佛二教相对抗,逐渐被称为”道教“的过程,实际上可以解释为道教形成的过程。(同上《道教》第1卷,朱越利中译本,第11页。) 之所以会有意识地区分儒释道,应该是在国家、王朝与信仰、宗教关系上产生的。对于民众来说,似乎没有刻意区分三教或只信一教排除其他教的必要性。所以也有学者称道教就是民众宗教。 谈道教首先要明确是谈哪个时代、从哪个意义上谈的道教。 谈道教与其他文化的关系时,更有必要划清道教要素,特别是“道教”正式形成之前的道教要素与“道教”的界限。
3月 31, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
(今日はなぜか図書館の利用率が高い。知らない人でも、研究のライバルに見えるので、いい緊張感が出るね) さて、昨日の続きですが、 実は、道教と日本について、古くは、津田左右吉氏、黒板勝美氏、妻木直良氏、小柳司気太氏、那波利貞氏、近年は、窪徳忠氏、福永光司氏、下出積與氏、松田智弘氏、上田正昭氏などが重要な論文や、著作を発表しています。先日、ジュンク堂に新書を覗いたら、坂出祥伸氏の「日本と道教文化」がつい今月出版されました。日本側の関心は高まってきているようですね。 この課題について、欧米側の研究はChronicle of Taoist Studies in the West 1950-1990(Anna Seidel)によると、あまりないようですが、日本人の研究の中でも、特に引用がなくて、ネットでちょっと調べたら、Taoism in Japan: Positions and evaluations, L Kohn – Cahiers d’Extrême-Asie, 1995というのがあります。フランスの雑誌っぽくて、まだ入手していませんが、他論文の引用から見ると、多くは福永光司先生の研究を踏まえているようです。(またKohn先生か。自分は、「西昇経」をテーマにしようとしたごろも、Kohn先生の大作とぶつかって、一時期心が折れました。ちなみに、今、先生は、どこかの山に道教の修行をしているらしい)。中国側も、この課題を専門的に研究しているのが特にいなさそうです。浙江工商大学日本研究所の王勇先生は、中日交流を専門にし、道教と日本の関係についても、いくつか論文が書かれています。ほかに、北京の劉屹先生は唐の道教と日本の関係を触れました。老子化胡説の調査をしたとき、劉先生の論文も多く拝読していましたね。(まさか。なぜか、注目している問題は、いつもつながっているか、不思議です。) 先行研究については、まだじっくり読めていなくて、十分に理解できていないところがありますが、それぞれのアプローチは、下記のように分類してみます。(先行研究のレビューではなく、なるべく構想の網羅性を追求したくて、個人の推測も若干入り、今後修正可能の整理説) 1、道教で日本史、日本思想を解釈する論説。日本の歴史上、受容してきた大陸思想の中で、仏教や儒教思想で解釈できない内容があるから、道教ではないかと。 2、道教が日本への影響論。中国思想といえば、いつも儒釈道三教と並んで呼んでいる。古代中国から多く影響を受けた日本だが、なぜかはっきりと道教からの影響だという研究が少なかったから、「これが道教から来たのだ」と再認識させたい中国思想的な立場。 3、道教が日本における受容・変容論。道教という外来文化が、どのような、伝来過程を経て、日本人に取り入れられ、仏教と相並んで、日本文化の重要な性格を形成したか。この日本文化の性格とは何か。道教が日本に伝わってから、どう解釈され、またどう変えられて、どういう形で発展してきたかという日本文化における外来文化の交渉論。 4、古代東アジアの情勢から、例えば唐と日本の政治外交関係から、唐代道教の公伝についての研究もある。(小幡みちる氏が代表に) 私は、前の調査項目にも書いたように、どちらかというと、3番に近い問題に着眼しています。 道教からどんな影響を受けたか、どんな道教要素が日本文化に反映しているかより、 どうして天皇は「道士法を尊ばない」のに、仏教を積極的に受け入れたか、 どうして空海は、道教より仏教を選んだか、 一般民衆は、道教、あるいは道教関連の信仰に対する認識はどんなものかなどです。 が、これらの疑問を解く前に、やはり、まず道教とは何かの問題を避けられません。 中国の道教への定義及び発展実態、道教要素、とくに現代意味の「道教」が形成される前の道教要素と「道教」を明確に区別せずに、日本文化との関係に関する研究が殆どであると言えるでしょう。 次回は、中国の道教、また日本に伝来した「道教」とは何かを明確に決めておきます。 方法と論拠については、 1、文献 中国側の史書:例、魏志倭人伝。 日本側の資料: 直接「道教」を論じた資料:例、空海の「三教指帰」、吉備真備の「私教類聚」 間接的に、この概念、表現が表した思想や観念は、道教の神仙信仰や、道教の某経典からの影響ではないかと。 資料は、日本古典文学大系に所蔵の当時代の書物(記紀、『万葉集』『風土記』など)、『群書類従』『古事類苑』などの編集事典。 日本に確実に伝来した書籍:「日本国見在書目録」や、文献の中の引用。 2、実物や遺跡 考古学の成果活用や、今でも神社の建物や、実際な祭り、祭事に残っている札、儀礼、模様などです。
3月 30, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
タイトルの問いに答えるには、本も書けるぐらいです。 英語は、Taoismしかありませんが、一般的には、道教より範囲が広いです。ややこしい問題ですね。 道教とは何かを明かにできないまま、道教と日本の関係を議論しても意味がない。論外です。と前から早大の小林先生よりの教諭を今でも肝に銘じています。 それで、ずっと敬遠してきました。 しかし、自分の立場では、「道教」と日本のことをどうしても視野に入ってしまいます。 というか、それは自分の活かすべき長所でもあると中国の先生によく言われます。 私の専攻は、宗教学です。民俗学、文化人類学、日本史学ではありません。 研究するには、それなりの立場を明確にしておいたほうがいいです。 宗教学からみれば、完全な宗教の形式(中国道教のような教団組織、道観、体系化された教典)が日本に伝来し、存在しなくても、中国道教の信仰するもの、修行目標と関連し、類似しているものが存在しているなら、日本人がそれらをいかに理解、解釈して、変化させたか、またその理由を分析する意義があると思われます。 (Oh,図書館閉館時間になった。一旦休憩>>)
3月 30, 2010 - Posted by xiaoling- 0 Comments
中国道教の古代日本に於ける受容について、調査しています。 下記は、調査項目です。 一、古代日本が外来文化を受容する主体だという視点から考えると、 1、道教伝来以前の古代日本在来の思想、政治、文化基盤とは。 2、同じく外来文化の仏教思想は、神仏習合で日本国家レベルの支持でうまく定着したようですが、どうして道教は明かに公式に日本政府に断られたの か。仏教、道教、神道、修験道等の間の関係とは。歴史を見る限り、同質のものがわりと抵抗なく、違和感無く受け入れられる。 ちなみに、仏教は、国家レベルで伝来してきた。鎮護国家としての仏教、民衆より国家のための仏教。仏教の力が国家の繁栄をもたらすことを期待し、氏 族の閉鎖性を打破するために、世界性・普遍性を持った仏教を国家統一の精神的支柱として採用し、王権を高め、貴族・官人の統一を図ろうとした。教義上で は、神仏習合、本地垂迹の説が作られた。 3、5世紀半ば中国で成立した道教そのまま日本に伝来していなかったといっても、当時の日本人がどう「道教」を理解したか、受け止めたか、またその 理由を究明するのが、意義あると思う。特に関連文献、材料が残っている限り、解読、分析する必要がある。 二、この中国道教とは何かという客体の視点から考えると、 1、いつの時代の中国道教。どういう特徴を持っていたか。儒仏との関係も。 2、日本に伝来した後の道教思想は、最初中国の思想と違いが生じたか。宗教まで発展できなかった原因は? 3、道教はどうして世界宗教に発展できなかったか。中国人ならではの何か特徴でも反映しているか。 三、中国道教が古代日本へ伝えるというプロセスから見ると、 1、中国の道教は、どういうルートで日本に伝わったか。 2、朝鮮半島経由なら、朝鮮道教の影響をどれぐらい受けたか。直接の遣唐使などによる交流なら、その本人たちがどんな道教思想を見たか、いかに道教 思想を理解し、解釈していたか。 3、朝鮮半島は、道教を受容して、宗教として発展させたのに、どうして日本は違ったか。